ブログ2019.06.07

フットサル日本三国志 第2章 あのチームはどうなった(ファイルフォックス) その2 もう一つのファイルフォックス

木暮知彦

その2 もう一つのファイルフォックス


闘魂

 皆さんは東京都2部リーグに「闘魂」というチームがあることをご存知だろうか。知っている方は相当フットサル通かも知れない。というのもファイルフォックス時代の主将であり、闘将と呼ばれファイルフォックスの代名詞のような難波田治が創始者のチームだからである。難波田にしてみればもう一つのファイルフォックスとは言われたくないかも知れないが、ここでは「あのチームはどうなった」の章でもあり、趣旨からすると取り上げてもいいと思うので冒頭のタイトルで紹介させて頂く。

 設立は2014年、今から5年前である。難波田自身はファイルフォックスを離れてから名古屋オーシャンズの前身大洋薬品バンフ、湘南ベルマーレ、府中アスレティックなどでプレー、2012年には引退したような感じであった。しかし、持ち前のフットサルは真剣にやる趣味の持論からか闘魂を立ち上げ、東京都オープンリーグから参入したのである。

 当時の設立メンバーはというと、田代桂一(ファイルフォックス)、 西澤幸祐(リベルダージ千葉)、 北智之(ファイルフォックス)、 中沢亮太(カフリンガ)、 佐藤秀哲(ファイルフォックス)、 会田晃二(バルドラール浦安)、 平塚雅史(バルドラール浦安)、 石渡良太(ファイルフォックス)、 鈴木嘉也(アルティスタ埼玉)、 岩田雅人(ファイルフォックス)、 坂口啓介(ファイルフォックス)らで、元ファイルフォックスのメンバーが難波田を含めて12人中6人だからもう一つのファイルフォックスと呼んでもおかしくはない。

 ところで、読者の中には難波田を知らない人もいるかもしれないので、少し紹介しておく。生まれは1997年の5月だから42歳、それこそ競技フットサルの創生期の時代にフットサル界を牽引した人物である。府中水元クラブでフットサルを始め、1998年、眞境名オスカーの誘いでファイルフォックス立ち上げのメンバーとして参加、1999年の全日本選手権で初優勝を経験した。その後、2000年、2002年、2005年と4度のファイルフォックス全日本選手権制覇に貢献、同時に日本代表選手としても活躍、キャプテンを務めたこともある。

 さて、そんな難波田が設立した闘魂であるが、いずれは消滅するのではないかと思われる向きもあったが、3部に昇格、今や2部まで上がって来た。そして、奇しくも前回紹介した2部に降格、チーム名もファイルフォックスサテライトとなった古巣のサテライトと対戦したのであった。それは、2019年2月9日、2018シーズンの最終節で名称変更、体制変更した1シーズン目、初対決であった。

 結果は、後半途中まで1-5とリードされていた闘魂が意地をみせ、4-5と追い上げ、なんと終了間際、パワープレーから同点ゴールを決めたのは難波田だったという。この試合、東京都リーグを中心としたフットサルサイト、「フットサルスタイル」が難波田にインタビューをしており、ファイルフォックスに対する難波田のコメントを要約すると相手がファイルフォックスという意識があったかという質問に対してはほとんどなかったという。 恐らく、気にはなっていて。感慨深いものはあったのではないだろうか。
 また、自分たちのファイルの頃だったら後半途中の5-1から逆転はなかっただろうと辛口の叱咤激励があった。そのほかにも、難波田らしいコメントがいろいろあるインタビューなので是非見て欲しい。

 さて、もう一つのファイルフォックス論に戻ろう。ファイルフォックスが設立されて全日本選手権で初優勝したのが1999年、あれから20年が経過した。20年間を分けて考えてみるとFリーグ設立までが8年、Fリーグ設立以降が12年、いつの間にかFリーグの期間の方が長くなってしまった。これは何を意味するかというと、いわゆるレジェンドと呼ばれる選手達も次世代に突入、これからはFリーグ経験者が次々と引退、セカンドキャリアを歩むことを意味する。

 きっぱりと別の道を歩む者もいれば、指導者あるいはフットサルタレントとしての道を歩む者、別の道を歩むがフットサルが好きで出来れば競技フットサルの領域に出来るだけ身をおいておきたい者もいる。

 難波田の場合は3番目の例といえよう。輝かしい実績を持ち、指導力もある難波田が指導者の道を歩まず、なぜ元Fリーガーも含めた楽しみながら真剣にフットサルをやる究極の場を作ることになったのか、本人に直接聞いたわけではないが、なんとなくわかる気がする。

 分岐点はファイルフォックスがFリーグ参入ならず、電撃的に当時の大洋薬品バンフに移籍した頃、恐らく教師の道かフットサルの道か相当悩んだ時期はあったように思う。しかし、フットサルの道は思うように進まず、教師の道が確立された時点で彼は真剣な趣味のフットサルを選んだのではないだろうか。そして、真剣な遊びをやるためには、阿吽の呼吸ですぐにプレーを合わせられるFリーグ経験者がお互い必要としていると感じたのだと思う。なんといっても、フットサルが好きなのだ。むろん、真剣に元Fリーガーが都リーグでプレーすることで、都県レベルのリーグのプレーヤーの刺激になればというフットサルを愛する思いもあるのだろう。

 もし、このような形態のチームが増えていって、楽しみながらも真剣にプレー、上にどんどん上がっていくとしたら、オーバー40の夢であり、これはこれで創生期の頃の再来ともいえ、素晴らしいことだと思う。もう一つのファイルフォックスとはそんな意味に捉えたい。また、がんばって続けて欲しいものである。

写真は、フットサルスタイルよりお借りした(ありがとうございました)記念すべき闘魂対ファイルフォックス八王子の東京都2部初対戦の写真としよう。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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