ブログ2020.02.15

日本フットサル三国志 第3章 代表物語 その8 始まった海外挑戦

木暮知彦

その8 始まった海外挑戦

呉越同舟

  第2回アジア選手権の前後、急速に選手自らが技術のレベルアップを図る努力が図られるようになった。それは、全日本選手権に敗れ、代表選考に漏れ、あるいは世界選手権出場の夢破れなど、選手それぞれに悔しい想いもあったと思うが、やればやるほどフットサルの面白さ、奥の深さに選手がはまって行く純粋、シンプルなものでもあった。

 そこで始まったのが、海外への挑戦である。現在、サッカーの日本代表といえば海外でのプロクラブ経験者がほとんどを占めるが、フットサルはようやく、この頃に海外挑戦が始まった。しかも、まだ、チームの遠征レベルで個人が海外のクラブで経験することになるのは、少し先のことである。

ちなみに、先ごろ行われたスペイン遠征(2020年1月)の日本代表を見てみよう。

GK
篠田 龍馬(名古屋オーシャンズ)
関口 優志(名古屋オーシャンズ)
檜山 昇吾(シュライカー大阪)
FP
星 翔太(名古屋オーシャンズ) 〇スペインリーグ サンタコロマ
西谷 良介(名古屋オーシャンズ)
皆本 晃(立川・府中アスレティックFC) 〇スペインリーグ プエルトジャーノ
星 龍太 (名古屋オーシャンズ)
安藤 良平(名古屋オーシャンズ)
吉川 智貴(名古屋オーシャンズ) 〇スペインリーグ マグナ・グルペア
森村 孝志(ヴォスクオーレ仙台)
田村 友貴(シュライカー大阪)
室田 祐希(ペスカドーラ町田)
逸見 勝利ラファエル(SLベンフィカ/ポルトガル) 〇
加藤 未渚実(シュライカー大阪)
八木 聖人(名古屋オーシャンズ)
平田 ネトアントニオマサノリ (ADフンダン/ポルトガル) 〇
清水 和也 (コルドバ・パトリモニオ/スペイン)〇

 こうしてみると、昔、鈴村、木暮、小野らが海外組とか言われていた時代よりは、じわり、海外経験者あるいは海外そのものの選手が増えつつあるように思える。メンバー数はフィールドプレーヤー数14名に対して6名である。いい傾向であろう。

 遡ること、20年前の2000年の2月、海外挑戦の先鞭をつけたのは、当時、国内3強であったカスカベウ、アスパ、ファイルフォックスである。カスカベウは全日本選手権関東予選にウイニングドッグで破れた悔しさ、アスパもファイルフォックスに選手権決勝で敗れ、再出発を図りたい想いがあった。

 そして、当時、ブラジルツアーを企画・主催していたマリオ安光が企画したブラジル遠征に参加、BARUERI CUP(バルエリという街で行われる)に出場するのだった。

 BARUERI CUPの出場チームはグループAがコリンチャンス(オスカーの古巣)、ウインプロ(のちに日本代表がブラジル遠征時、練習試合を行う)、GM/シボレー、日本のアスパ、グループBがバネスパ(のちに難波田、木暮が留学)、パルメイラス(のちのシュライカー大阪ドゥダの古巣)、アルエリ、日本のカスカベウである。ブラジルの出場チームはトップクラスのチームばかり、しかもこのBARUERI CUPの合間を縫ってサンパウロFC、BORDONなどとも試合をした。夢のようなフットサルツアーだ。

 さて、結果は、両チームとも全ての試合で10点以上の大差を付けられるもので、順位は最下位であった。しかし、両チームにとって選手権の負けを取り戻すほど収穫のあるツアーだった。とにかく、ディフェンスばかりしていたのでディフェンスが強くなったことは確かである。

 実は、この遠征には、両チーム以外に3人のメンバーが帯同していた。ファイルフォックスのオスカーと難波田、そしてウイニングドッグの木暮で彼らもカスカベウに混じって試合に出場した。この出会いが、のちに木暮がファイルフォックスに移籍するきっかけになろうとは本人も想像できなかったに違いない。

  カスカベウは、全日本に優勝した後も、再びブラジルに遠征している。遠征先は、パラナ州カスカベウ市で、カスカベウ以外に慶応BRB、リガ天竜選抜も同行、現地のチームと大会形式で試合を行うものであった。この時、慶応BRBに混ぜてもらったゴールキーパーに川原久光(のちに日本代表、現名古屋オーシャンズ)がいた。川原はこの時カスカベウ入団の誘いを受けるほど高評価を得た。この時の経験が、川原にとってその後のフットサル人生の転機になるのだった。

 なお、甲斐、前田はそのまま残り、ブラジルチームとプロ契約の挑戦をすることになった。個人のプロ契約挑戦が以降フットサル界全般に広まっていくのだが、そのピークを迎えるにはまだ時間がかかった。

 面白いことに、この時、準優勝だったファイルフォックスも、新体制でブラジル遠征を敢行していた。というのも、ファイルフォックスは、上村、渡辺、小野、橋田らが抜けて、逆に前述した縁でウイニングドッグから木暮、岩田らが移籍し、心機一転を図りたかったからである。

 前置きが長くなったが、新体制となったファイルフォックスの遠征先は、サンパウロの外れのアルジャ市で、FC FUNとボルドンの合同メンバーで作られた臨時のチームも同行、南米日系人のフットサル大会に参加するものであった。ファイルフォックスには、ウイニングドッグから移籍した木暮、岩田、ゴールキーパー江村がいた。臨時のチームにはのちにスペインにも挑戦する福角(アスパのちにプレデター、バルドラール浦安)がいた。

 ちなみに両チームの遠征先は700キロも離れていて、お互い連絡をとって同時期に遠征したわけでもなく、全くの偶然なのである。

 それだけ、当時は何かに飢えていたことをうかがわせるものがある。

 さて、写真は、ブラジル遠征の呉越同舟の写真としよう。もはやレジェンドと言われるようになった懐かしいメンバー達である。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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