ブログ2019.07.24

フットサル日本三国志 第2章 あのチームはどうなった(ルネス学園甲賀フットサルクラブ) その3 あの頃の関西競技フットサル事情

木暮知彦

その3 あの頃の関西競技フットサル事情


ボルドン

 前回、藤井は、関西の地でもう一度挑戦と思い、選手権が近づいた2000年9月に新チームを立ちあげたと書いたが、そのチーム名はボルドンという名前である。ほとんどのメンバーはアスパからである。名前の由来はというと、ブラジル遠征でボルドンと練習試合をしたが、その時もらった大量の記念のユニフォームにはボルドンと胸に書いてあって、これを有効活用しようと思ったという。いかにも関西人らしい。

 さて、ボルドンについて書くまえに、あの頃の関西競技フットサル事情について少し触れておく。筆者は関東の人間で詳しくはないので、あやふやだったとしたらお許しを願いたい。

 大きなトピックといえば、2000年10月8日に関西フットサルプレリーグが誕生している。関西フットサル連盟より選抜された各府県の代表チームで構成されるリーグ戦で、6チーム1試合総当たり、12月24日まで行われた。このリーグに設立間もないボルドンは参加している。しかも、いきなり優勝であった。ほかには、FCドリーム、芦屋SCグリース、近鉄百貨店、FCソルセウ、チェリーボーイズ(順不同、日本語表記)である。位置付けはプレリーグであり、通年のリーグ、チーム数拡大を視野に入れてのものである。実際に関西リーグ本番が立ち上がったのは2年後の2002年であった。

   実をいうとまさに同年同月、関東では、伝説のスーパーリーグが立ち上がっている。同じ日だったとは今回の執筆で筆者は初めて知った。このリーグはサッカー協会の公認ではない民間のリーグである。設立の背景には、その年の5月に行われた第2回アジアフットサル選手権でまさかの4位に終わり、同年に行われた世界選手権(当時はまだワールドカップという名前ではなかった)の出場を逃したことにある。当時の関東の強豪チーム関係者達が危機感を感じ、やむにやまれぬ思いから立ち上げたものであった。関東リーグは同年の3月に設立されていたが、通年のリーグではなくしかも都県リーグの代表で構成されるため、強豪のチーム同士が戦う場としては物足りなさがあった。設立に同意、参加したのはロンドリーナ、府中アスレティック、カスカベウ、ガロ、ウイニングドッグ、プレデターの強豪6チーム(順不同)であり、運営は、これら参加したチームで構成するスーパーリーグ運営実行委員会が行った。

    このように奇しくも2000年は、関西、関東揃って本格的リーグ設立に舵を切り、日本のフットサル競技力向上の元年と言ってもいいエポックの年であった。

 しかし、この影には関東関西の中間に位置する天竜市の天竜リーグの存在があったことを忘れてはならない。当時、浜松、豊橋の工場地帯には数多くのブラジル人、日系ブラジル人が働いており、彼らの余暇の楽しみがフットサルであった。やがて、彼らだけの天竜リーグが生まれ、そこに日本人チームも参加するようになった。車で2、3時間、関東、関西の中間に位置するから参加しやすいこともあった。当時の日本人チームは、ブラジルのフットサル技術、情報が何としても欲しい時代だったのである。その結果、リーグに参加するばかりでなく、助っ人に招聘あるいは合同で大会に参加などの交流も盛んになった。

 ボルドンはピットスポット(東海リーグ所属の日系ブラジル人チーム)と合同でその年のJAL CUPに出場している。JAL CUPとは、スポンサーが日本航空のブラジル旅行専門の代理店JINTERでブラジル旅行客の集客を目論んで開催された大会で、当時はこぞって強豪チームが参加した由緒ある大会であった。主催者は天竜リーグを開催、同時に多くの日本人プレーヤーをブラジルフットサル留学に送り込んだマリオ安光である。

 もう一つ、アトレチコマグがシーブラジル(天竜リーグ所属の日系ブラジル人チーム)と組んで出場している。このチームは翌年の2001年のスーパーリーグにも参加している。アトレチコマグは、マグフットサルクラブ、シュライカー大阪につながるチームで、マグフットサルクラブが関西リーグに参加したのは、2003年からである。

 関東から、よく天竜リーグに参加していたチームは、カスカベウ、府中アスレティック、ウイニングドッグらで、カスカベウがピットススポットと、ウイニングドッグがマエダボウエキと組んでJAL CUPに参加している。

 このようにブラジルフットサルの影響を受けつつ、関西リーグは2002年に第1回を迎え、出場チームは、神戸ハーバーランド(兵庫県リーグ)、近鉄百貨店(大阪府リーグ)、FCドリーム(大阪府リーグ)、旭屋(大阪府リーグ)、カンカンボーイズ(兵庫県リーグ)、芦屋SCグリース(兵庫県リーグ)、FCソルセオ(京都府リーグ)、F.T ブロウ京都(京都府リーグ)の8チームであった。

 なお、このリーグには、日本代表選手も数多く名前を連ねている。ボルドンの藤井(第1回マレーシア、第2回タイのアジア選手権)、安川(第2回)、近鉄百貨店の大塚和弘(第3回イランアジア選手権)、塩谷伸介(スペイン遠征)、神戸ハーバーランドの鈴村拓哉(第1回、第2回、第3回)、旭屋の松田和也(のちの第4回インドネシアアジア選手権)、同じく山蔦一弘(のちの第4回)などである。

 マググフットサルクラブはまだ府リーグにいて、優勝して翌年の第2回からの参加になっている。この時、後述するがボルドンはすでに解散していて、藤井はマグに参加、府リーグの優勝に貢献している。ファイルフォックスにいた原田もこの頃、関西に戻り、マグに参加している。また、奈良県リーグにいた安川も2006年になってからであるがマグに参加している。当時、マグはFリーグ参入を見据え戦力強化を図っていたのである。

 続いて第2回からは、前述したマグフットサルクラブ、アズローフットサルクラブ(和歌山県リーグ)、みぴこ(大阪府リーグ)、ハットトリック(兵庫県リーグ)、FCソルセオに代わってフュンフバイン(京都府リーグ)が入って合計12チームと拡大していった。第2回以降、マグが4連覇を果たしている。

 以上が簡単におさらいをした当時の関西競技フットサル事情であるが、そんな中、ボルドンは、関西プレリーグ、JAL CUPなどの経験を経て、その実力を蓄え、いよいよ2000年12月、第6回全日本選手権の関西予選を迎える。結果はどうであったろうか。それは次回のお楽しみに。

 写真は、関西プレリーグで優勝したボルドンの表彰式の写真にしよう。この写真に載っているユニフォームがボルドンから貰ったものである。貴重なこの写真は関西の強豪で2010年以来4度の関西リーグ優勝を誇るSWHフットサルクラブの上田政彦元監督より提供頂いた。上田さんによれば、ボルドンおよび藤井は上田さんのフットサルの原点だそうである。

 もう一つの貴重な写真は、2001スーパーリーグのマグ&シーブラジルにしよう。1GK石井修、2末長猛、4小島洋介、7米満誠、8田頭悟志、9丸山哲平、10増田雅史、11中上拓也、12石田祥、13長谷部亘、写真には載っていないが、3木原タカオ、5坂本秀也、6ガルシア、14エメルソン、15GK戌谷進、16シャンジの面々である。懐かしい名前と感ずる人も多いと思う。


マグ

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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