ブログ2019.11.14

日本フットサル三国志 あのチームはどうなった(ウイニングドッグ) その1 チーム勃発の時代

木暮知彦

その1 チーム勃発の時代


ウイニングドッグ

 第2章あのチームはどうなった篇もそろそろ終わりに近づいてきた。今までは、なんだかんだ言っても形はいろいろだがチームの形を残している姿を描いてきた。しかし、今回はチーム消滅である。

 そのチームとはウイニングドッグで、もはやフットサルのオールドファンならばともかく若いファンにとっては噂で聞いたことがあるか全く知らないくらいに時が経ってしまった。創設が1997年で消滅が2001年であるから、なんと18年も前のことである。チームとしても4年くらいの命しかなかったが、フットサル創生期を象徴するように一瞬の光を放ち、消えていったチームである。

 1997年といえば、フットサル界ではチーム勃発の時代といえる。関東フットサル三国志にも執筆したが、1996年1月頃の府中水元クラブ(のちのフトゥーロあるいは府中アスレティック)、1996年末から1998年にかけてアズー(のちのカスカベウ、ペスカドーラ町田)、小金井ジュール、井の頭くな(のちのプレデター、バルドラール浦安)、マルバ、エスポルチ藤沢(のちのロンドリーナ、湘南ベルマーレ)、ファイルフォックス、目黒FC、ガロ、ウイニングドッグなど続々とフットサルで一旗揚げようというチームが勃発したのである。

 むろん、その背景には全日本フットサル選手権があり、その第1回大会は1996年に開催されている。ウイニングドッグが、この大会に登場するのは、第4回大会の東京都予選からで1998年のことである。創設からは2年が経っていた。創設者は小原拓也、小原信也の兄弟でもともとは川崎市の社会人リーグに所属するサッカーチームであった。小原信也は当時の読売ヴェルディのジュニアユースに在籍、高校卒業後は新潟アルビレックスに所属していたこともある実力者でヴェルディらしいテクニシャンであった。

 当時のサッカーチームは、フットサルがブームになりはじめた頃で、フットサル場が出来始め、簡単にグランドが確保できる、少ない人数でも練習ゲームが出来る、いろいろな大会が開催されるとあって、フットサルもやるようになっていた。ウイニングドッグも御多分に漏れず、フットサル大会業者が開催する大会に出場、優勝するなどして次第にフットサルに傾倒していったのである。

 そんな折、チームにとって1つの大きな転機が訪れた。それは、1998年の5月、木暮賢一郎(元フットサル日本代表、現フットサル日本代表コーチ)の入団であった。当時、木暮は19歳、実は、木暮は、高校時代は湘南工科大学サッカー部に所属していたが、小中学時代は当時の読売ヴェルディの下部組織に在籍していて、小原信也の後輩にあたった。先輩に誘われて入団したのである。

 木暮からしたら、丁度、大学浪人に身を置くようになり、時間はあるし、運動不足家解消にもなる、練習場が自宅に近いなどの理由から、簡単に先輩の誘いに乗ったわけであるが、まさか将来、これほどまでにフットサル界に入るとは夢にも思わなかったであろう。

 読売ヴェルディ仕込みのフットサルスタイルを身に付けた2人が揃ったことで、チームは急速にフットサルの実力を付けていき、民間大会に優勝するなどして次第に有名になって行った。

 そんな折、ウイニングドッグは運命的に、とあるチームと出会うことになる。それは、甲斐、市原らを擁するエスポルチ藤沢で、彼らの練習場が横浜市営地下鉄センター北にあるフットサルコート、フットサルクラブ横浜で、ウイニングドッグの練習場と同じだったのである。

 ウイニングドッグは、彼らの練習ぶりを見て、練習試合を通じて、今まで民間の大会で数多く優勝していた自分達のフットサルは何だったのかというくらいに衝撃を受けた。木暮も当初は大学に入ったらサッカーに戻るつもりでいたが、彼らのフットサルを見て、次第にフットサルにのめり込むようになった。

 そして、第4回の全日本選手権に挑戦することになるわけだが、神奈川のチームでありながら、エスポルチ藤沢との競合を避け、東京からエントリーすることを選んだくらい、エスポルチ藤沢の影響は大きかったのである。そして、のちにエスポルチ藤沢、エスポルチ藤沢から分かれたカスカベウの前に立ちはだかるまでにウイニングドッグが成長するとは、甲斐、市原らは思わなかったに違いない。

  ちなみに、この時、木暮の小学校時代の同級、国学院でサッカーをやっていた岩田雅人もサッカーを辞めて、ウイニングドッグに参加している。岩田はのちに木暮とともにファイルフォックスに移籍する。

 カスカベウとの死闘の話は次回ということで、今回の写真は、ウインニングドッグの社会人チームとフットサルチームの2足の草鞋を履いていた時代の写真にしよう。たしか、川崎市の大会で優勝したときのものである。懐かしい顔ぶれが写っている。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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