ブログ2019.08.08

日本フットサル三国志 第2章 あのチームはどうなった(シャークス) その2 明暗わけたフウガとシャークス

木暮知彦

その2 明暗分けたフウガとシャークス


シャークス

 2008年1月6日(日)、府中市総合体育館にて第9回関東リーグの最終節、優勝決定戦となる大一番が行われた。それはフウガ(現フウガドールすみだでフウガ目黒、フウガ東京と変遷したが便宜上、以降フウガと称す)対シャークス戦である。前回書いたが、この試合のほぼ10年後の2018年3月の第24回全日本選手権でフウガとシャークスに縁があるプラセールが戦ったわけである。恐らく、その場にコーチでいた八重樫ですら10年前のこの試合のことは知らないと思う。2008年は、八重樫はすでにシャークスを離れており、八重樫によれば2007年から2009年の間は、JICAの事業でマレーシアに赴任、2009年に香川大学に赴任、プラセールに入団したとあるから、知らないのは当然であろう。恐らく、フウガのメンバー、スタッフも八重樫のことは気が付いていないだろう。

 この関東リーグのフウガ対シャークス戦はいろいろな意味で時代の変わり目を象徴する試合であった。というのも、Fリーグの開幕が前年の9月でFリーグが始まった最初の関東リーグだったからである。したがって、参入組すなわちプレデター(現バルドラール浦安、カスカベウ(現ペスカドーラ町田)、ロンドリーナ(現湘南ベルマーレ)は抜けてしまい、落選組ともいえるファイルフックス、フトゥーロ、シャークス(シャークス立川と名乗り立川を拠点にエントリーはしていた)、そして新興勢力で年齢が若いフウガなどが優勝争いをしていた。しかし、多くの選手がFリーグに移籍、観客数もピークに比べたらだいぶ落ち込んだ状況となった。

 ちなみに、Fリーグがまだ開幕していない関東リーグのピークの第7回関東リーグの開幕節(6月)の観客数は、第1試合の府中アスレティック対サルバトーレソーラが1068人、第2試合ファイルフォックス対ボツワナ(翌年にフウガ目黒に名称変更)、1316人、第3試合シャークス対ガロ、1236人、第4試合カスカベウ対フトゥーロ、1239人で、延べ4859人であった。

 そんな関東リーグに、試合の2週間前の2007年12月19日、衝撃的なニュースが流れた。それは今シーズンでシャークスは関東リーグを脱退するというものであった。前々からシャークスはFリーグ参入を目論んでいた。そのため、シャークス立川と名称変更もしていた。しかし、立川ではFリーグの規格にあうホームアリーナを用意することはできず、当時の代表であった石川昌史は生まれ故郷の静岡に拠点を移す計画を立てていた。実際、すでに練習拠点も伊豆に移していた。そんなわけであるから、いよいよシーズンも終わるこの頃、脱退を発表せざるを得なかったというわけである。

 一方のフウガも実をいうとFリーグ参入を目論んでいたが、Fリーグ規格に合致したアリーナがなかなか見つからず、すぐにFリーグ参入に動くことはできなかった。そして、選手の移籍の心配を抱えていた。

 そんな2チームの状況で関東リーグの最終節、1位のシャークスと2位のフウガの直接対決が行われたのだ。勝ち点は2差でシャークスは勝つか引き分けで優勝である。シャークスは、神が先制点をあげ、幸先の良いスタートを切った。しかし、フウガの金川武司にPKを決められ、同点で前半を終了した。後半は逆にリードされたが、シャークス碓井孝一郎が同点に追いつき、後半残り6分まで2-2の同点という接戦となった。しかし、最後は星翔太(現名古屋オーシャンズ)に2発決められ、2-4で敗戦、シャークス最後の関東リーグは2位で終わった。

 こうしてリーグ優勝の明暗を分けた両チームであったが、その後の運命も明暗を分ける結果となった。シャークスは、静岡への移転は結局成功せず、関東リーグのあとに行われた地域チャンピオンズリーグ3位の成績でチームは解散に追い込まれてしまったのである。

 一方、フウガは、翌年には墨田区に拠点を移し、本格的にFリーグを目指さすとともに、関東リーグを3連覇、時間はかかったが5年後の2014年にFリーグ参入を果たす。ちなみに、シャークスと同時に出場した地域チャンピオンズリーグはシャークスと同時3位であった。

 振り返って見れば、シャークスが都リーグから昇格、いきなり優勝の快挙を成し遂げたのは2003年シーズンの第5回関東リーグであった。2004年に行われた第4回地域チャンピオンズリーグにも優勝、破竹の勢いがあった。

 その頃、フウガの前身ボツワナは都リーグで、関東リーグ昇格を目指していた。その2年後に、ボツワナは昇格、第7回関東リーグでいきなり3位になった。そして、第8回は、1stステージは1位で折り返し、あわや優勝と言われるまでに力を付けていく。

 一方、シャークスは、ボツワナが昇格した第7回は下位リーグに甘んじた。こうして迎えた第8回関東リーグ、勢いの差を一気にひっくり返すべく、スペイン人監督を迎え、Fリーグ昇格を旗印に伊豆で戦力強化を図ったシャークスであったが、新興勢力の若さ(年齢的にはフウガの方が若かった)、その勢いには敵わなかったのだろうか。あるいは、少し、ことを性急に過ぎすぎたのだろうか。いずれにしても、最後の関東リーグ、有終の美を飾らせてやりたかった。

 写真は、2001年ス―パーリーグのパンフレットからシャークス集合写真にしよう。
シャークスが表舞台に立ったのはこの時で翌年の第3回ス-パーリーグに優勝、関東リーグは初出場、初優勝と大躍進を遂げたのであった。選手は、1GK横山大佑、2袴田学、3石川昌史、4岩本健寿、5太田健太郎、6上林亘。7飯島映、8横山哲久、9新楽清高、10永島達也、11前田大輔、12入江数馬、13野崎仁、14内池達徳、15八重樫理人、16森下務、17GK落合弘則、新治義治(監督)、与五沢知(マネージャー)らである。当時のフットサル通であれば懐かしい名前があると思われる。八重樫は2列目、中央にいる。

 スーパーリーグの紹介文によれば、立川FCでプレーしていた静岡県立韮山高校OBを中心に結成されたとある。主要メンバーの多くが眞境名オスカー氏(ファイルフォックス監督)の門下生であることから、ファイルフォックスに追いつき、追い越すことを目標としている。試合では気持ちで負けないこと、ディフェンスとセットプレーの精度が特徴とあった。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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