ブログ2019.11.16

日本フットサル三国志 第2章 あのチームはどうなった(ウイニング ドッグ) その2 登竜門の全日本選手権都予選

木暮知彦

その2 の登竜門の全日本選手権都予選


ウイニングドッグ集合写真2

 全日本フットサル選手権が、悪く言えばサッカーで夢破れた若者達のもう一つの夢と希望を与える大会だったあの頃、とりわけ、熱い戦いを見せていたのが、東京都の予選大会であった。熱くなる理由は2つある。

1つは、選手権本大会の開催地枠ということで、地域予選が免除されてストレートに本大会へ進めることであった。関東予選へは東京都2位、3位が出場できるので、もう1回全国へのチャンスがある。ちなみに開催地枠は2001年まで続いた。

 2つ目は、東京都はレベルが高いことである。仮に関東予選に進めなかったとしても全国選手権レベルのチームと戦える魅力は大きい。実際、第2回の府中水元クラブ、第4回、第5回とファイルフォックスが制すると東京都を制するものは日本を制すと言われたくらいである。

 ちなみに、現時点(2019年11月)、ちょうど第25回を数える全日本選手権の都予選が行われていて、予選ブロックが終了、これから決勝トーナメントが始まる。

今回の予選では、FC NAKAIが注目を集めている。FC NAKAIとは、ペスカドーラ町田を辞めた中井健介(元フットサル日本代表)がこの大会だけのために結成したチームで、Fの頂きのタイトルで動画配信をしながらドキュメンタリー風に挑戦の記録をまとめている(メンバーにはファイルフォックスに在籍経験、中国でプレー経験もある元バサジイ大分の石崎聖がいる)。似たような例としては、Fリーグの名古屋オーシャンズを倒して有名になったフウガめぐろの全日本選手権優勝(2009年)がある。しかし、フウガはそれでも関東リーグ所属であった。全く無名で負けたら解散というところが、注目を浴びているのであろう。久しく夢のある挑戦が少なくなったフットサル界としては、是非活躍をして欲しいものである。なお、も1つの夢ある挑戦、本章のファイルフォックス編で紹介した難波田治の闘魂は予選ブロック敗退で終わった。

 さて、1998年の第4回都予選は、今と違って無名ばかりのチームが一旗揚げようと集まる大会であった。したがって、のちに強豪となる初出場チームも多かった。

 その筆頭があのファイルフォクスである。次にガロ(ガロFC東京)が挙げられる。ガロとは、神宮を拠点に活動していたサッカーチームエリースFCから独立して横田年男が設立したチームだ。東京にこだわり、正式にはGALO FC東京と命名した。陣容は、選手で横田は監督兼選手で、横浜マリノス出身の河上哲也、下山修平、村松淳二(両者はのちにシャークス)、関新(のちにシャークス、湘南ベルマーレ)、石渡良太(のちにシャークス、ペスカドーラ町田)などがいた。

 そして、ウイニングドッグである。ファイルフォックス、ガロ、ウイニングドッグは運命的な対戦をする。まず、ガロとウイニングドッグは初出場ながら予選リーグを突破、そして決勝トーナメント1回戦で当たるのである。結果は乱打戦となり、サッカーに一日の長があるガロが10-6で勝利、準決勝に進む。しかし、ガロは次の試合ではサッカーの学芸大学蹴球部に破れ、都予選敗退となってしまう。

 一方、最初からフットサルチームとしてスタートしたファイルフォックスは、順調に決勝に進み、準決勝では府中水元クラブを破り、決勝ではガロを倒した学芸大学蹴球部を破り、見事、初出場でストレートに全国大会出場の切符を手に入れたのである。そして優勝までしてしまった。

 ウイニングドッグもガロもこの敗戦をきっかけにファイルフォックスをお手本にサッカーを脱して、本格的にフットサルに取り組まねばならないと思ったのだろう、両チームはその後、関東リーグに参入、ファイルフォックスに伍してフットサル専門のチームとしての道を歩むのであった。

 一方、神奈川県から出場したエスポルチ藤沢は神奈川県予選で優勝、関東予選に進出する。しかし、ファイルフォックスに敗れ、3位に回った府中水元クラブと当たることになり、なんと敗戦となってしまう。そもそも刺激を受け、十分研究、目標とした府中水元クラブに敗れるという皮肉な結果になったのだ。だが、その府中水元クラブも決勝で筑波大サッカー部に破れ、4回目にして選手権出場を逃してしまう。この結果、以降は選手権に出場することはなかった。

 こうして、第4回選手権の予選大会は、ファイルフォックスだけが生き残り、カスカベウの前身エスポルチ藤沢、府中水元クラブ、小金井ジュール、のちのプレデターにつながる井の頭くな、ウイニングドッグ、ガロらも決勝大会進出は叶わなかった。それでも、確実に新しいフットサルチームの幕開けとなる登竜門にふさわしい第4回全日本選手権都予選であった。

 ウイニングドッグは翌年には、関東リーグのプレ大会があり、これに出場、以降関東リーグに参入、200年立ち上げのスーパーリーグにも参入と順調な歩みを見せた。また、思わぬ栄誉な出来事も生まれた。それは次回に。

写真は、2000年に行われたJAL CPの時の集合写真にしよう。このときは、プレデターに敗れ、予選リーグ敗退であった。選手は、1列目左から田中、池、佐々木、小原信也、江村、木暮、鈴木、2列目左から菊間、岩田、小原拓也、広島、阿部である、 (雑誌ピヴォより)

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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