ブログ2019.11.25

日本フットサル三国志 第2章 あのチームはどうなった(ウイニングドッグ) その3 表舞台へ

木暮知彦

その3 表舞台へ


全国選抜フットサル大会

 都予選に敗れ、ファイルフォックスの選手権優勝を見たウイニングドッグであったが、息つき暇もなく、フットアルの表舞台へと突き進んで行った。

 まず。1999年の3月、関東リーグのプレ大会が開催され、ウイニングドッグはこれに参戦することとなった。関東リーグの正式な第1回大会は翌年の2000年3月から始まったが、事前準備の大会が開かれたのである。参加チームは府中水元クラブ、ウイニングドッグ、エスポルチ藤沢、小金井ジュール、目黒FC、マルバなどである。そして、この大会にウイニングドッグはあっさり優勝する。2位には小金井ジュール、3位エスポルチ藤沢、4位府中水元クラブであった。

 この大会のあと、エスポルチ藤沢の甲斐は、最強のチーム作りを目指し、エスポルチ藤沢から独立、カスカベウを立ち上げる。これに、市原、相根、安田がついていくことになり、ファイルフォックスから前田、グレートホッチポッチから安藤、サッカー社会人リーグ九曜クラブの縁でゴールキーパー遠藤晃夫(のちにファイルフォックス)らが合流した。

 拠点はファイルフォックスと真っ向勝負、東京に移し、東京体育館と羽田にある東京ベイフットサル俱楽部を主練習場にした。これにより、ウイニングドッグとカスカベウの死闘が始まるのである。

 1999年5月3日、4日ゴールディンウィーク中に新しい試みの大会が開催された。それは第15回全国選抜フットサル大会である。それまでの選抜大会は地域から選抜されたチーム同士の大会であったが、この15回大会から地域の個人が選ばれ、その選抜チーム同士で優勝を争う大会に変わったのである。逆に地域の選抜チームの大会はのちの地域チャンピオンズリーグとなった。ちなみにその前までの選抜大会の優勝チームは、12回、13回が府中水元クラブ、14回がアスパとなっている。

 サッカーだと国体があってそれが選手個人の励みや個人の発掘につながるが、フットサルには国体がない。本大会はその替わりの役割を狙うものであった。しかしながら、実際この時に選抜チームを組めた地域は北海道と東京だけで、まだフットサルの普及が進んでいないことがうかがえる。

 さて、その関東選抜に関東リーグプレ大会の優勝が認められたのであろう、ウイニングドッグから、小原兄弟、そして木暮賢一郎が選ばれた。選ばれたほかのメンバーを見てみると、ファイルフォックスから、前田喜史、エスポルチ藤沢から黒岩文幸、甲斐修司、広山晴士、安田和彦、府中水元クラブから鞁島三郎、歳森弘一朗、伊藤敬蜴、小金井ジュールから寺本尚文、原靖、目黒FCから横山恵介ら錚々たるメンバーが選ばれているので異例の抜擢だったと言える。とりわけ、木暮賢一郎は、この時まだ20歳だったからシンデレラボーイと言えたかも知れない。

 しかも、本大会は特別な計らいで、先に行われた第1回アジア選手権の日本代表のほとんどのメンバーが日本フットサル連盟推薦の日本選抜として出場していたから、その日本選抜と試合ができる機会をいきなり与えられたことになる。日本選抜のメンバーは、監督は須田芳正、清水市役所から若林孝治、鈴木慎一、府中水元クラブから中村俊二、アスパから藤井健太、原田健司、安川知宏、ファイルフォックスから上村信乃介、渡辺英明、、定永久男、エスポルチ藤沢から相根澄、市原誉昭らである。

 試合の方は、北海道選抜、関東選抜、日本選抜以外は、北信越代表の長野エルザSC,関西代表のFC YONAITなど各地域代表のチームが3ブロックの予選リーグに振り分けられ、各ブロック1位の1位リーグで優勝を争う形式で行われた。

 むろん、優勝決定の戦いは日本選抜対関東選抜となり、互角の勝負が繰り広げられたが、スコアは3-2で日本選抜が勝利した。しかしながら、戦った関東代表の選手達は日本代表を手に届くところにあると感じたのではないだろうか。実際、木暮賢一郎は後になって、この時の出場経験が、完全にサッカーを辞めてフットサルに賭けるきっかけになったと述懐している。

 1999年7月になると、当時としては実力最高と言われる通年リーグが天竜市で始まった。それはリガ天竜といい、日系ブラジル人チームのリーグに日本人チームが混じって、7月にスタート、翌1月までの全6節の通年で戦おうというものであった。リーグは1部と2部があり、1部は9チーム、日本人チームはファイルフォックス、カスカベウ(スポンサーの関係でピットスポットの名称で出場)、関西からアスパ、府中水元クラブ、2部は10チーム、その2部にウイニングドッグは参戦したのである。ウイニングドッグは、急速に力を付けてきた。

 そうこうしているうちに、再び11月、今度は第5回の全日本選手権の予選大会が始まった。前回登場したファイルフォックス、ガロ、エスポルチ藤沢、ウイニングドッグ、そして、エスポルチ藤沢から分かれたカスカベウなどはどうなったのであろうか。それは次回のお楽しみに。  写真は、ウイニングドッグおよび木暮が表舞台に立つきっかけになった第15回全国選抜フットサル大会のパンフの表紙としよう。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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