ブログ2019.12.01

日本フットサル三国志 第2章 あのチームはどうなった(ウイニングドッグ) その4 最初で最後の全日本選手権

木暮知彦

その4 最初で最後の全日本選手権


ウイニングドッグ

 1999年末、第5回の選手権地域予選が始まった。まず、東京都予選は、なんと準決勝でファイルフォックスとカスカベウが激突、この戦いは今でも語り草になるほど激しいものであった。というのも、審判の微妙な判定が次第に両者の気持ちをヒートアップさせ、ファイルフォックスの5ファウルによる前田の第2PK、カスカベウ相根の審判猛抗議の退場、人数が少ない時のゴールキーパー遠藤のナイスセーブの連発など劇的シーンが数多く詰まっていたからであった。

 結果は6-4でファイルフォックスが勝利、決勝戦にコマを進めた。一方のカスカベウは3位決定戦に回ることになった。もう一つの山は、ガロが勝ち進み、決勝はファイルフォックス対ガロとなった。結果は4-2でファイルフォックスが勝利、ガロは先制点を奪い、2-2の同点までは粘ったが最後はファイルフォックスの地力に及ばなかった。

 結局、東京はファイルフォックスが優勝、ストレートの全国切符を手に入れた。2位のガロと3位決定戦を制したカスカベウの2チームが関東予選に回ることになった。これが、カスカベウとウイニングドッグの死闘のきっかけとなり、カスカベウの悲劇の始まりとはこの時は誰も思わなかったであろう。

 神奈川県の予選は、今年から東京を回避したウイニングドッグと戦力強化を図ったエスポルチ藤沢が勝ち進んだ。決勝は両者の戦いとなった。結果は、3-2でウイニングドッグが勝利、しかし、神奈川は2チームが関東予選に進めるので、この2チームが関東予選に進むことになった。千葉はプレデター、茨城はマルバが順当に関東予選にコマを進める。

 そして、悲喜こもごもの関東予選が1999年12月18、19日、埼玉県足立郡吹上町体育館で開催された。

 まずは予選リーグ、神奈川代表ウイニングドッグと千葉代表プレデターが同組で対決することとなった。プレデターは助っ人にダニエル大城、シーナを擁したが、チームワークがかみ合わず、ウイニングドッグに0-2と負けてしまい、予選リーグ敗退となってしまった。

 神奈川代表のエスポルチ藤沢は、茨城代表のマルバを下し、予選リーグを突破するが、なんと県予選で当たったウイニングドッグといきなり決勝トーナメント1回戦で再び対戦することとなった。そして、プレデターを下して勝ち上がったウイニングドッグは、県予選ですでに破っている自信からかエスポルチ藤沢を9-1の大差で破り、決勝戦まで進む。

 都予選でファイルフォックスに敗れたとは言え、本命の東京第1代表カスカベウは順調に予選リーグを勝ち上がる。東京第2代表のガロは予選リーグを勝ち上がるものの伏兵群馬代表の群馬コーチャーズに敗れ、決勝トーナメント1回戦で敗退の番狂わせとなってしまった。

 結局、決勝戦はその群馬コーチャーズを8-2の大差で下したカスカベウとエスポルチ藤沢を下したウイニングドッグの対決となった。この両者の過去の対戦はというと民間大会で何回か対戦しており、分はカスカベウにあった。しかし、両者はすでに紹介したとおり、カスカベウのエスポルチ藤沢時代に同じ練習場のコートで交流があり、お互い手の内は知り尽くしていることもあり、むしろ、心理的にはウイニングドッグの方に分があった。なぜなら、カスカベウから見たら最も当たりたくなかった相手であろうし、ウイニングドッグから見ると、カスカベウはエスポルチ藤沢のイメージが強く、エスポルチ藤沢には負けないという妙な自信があったからである。

 案の定、カスカベウは、ウイニングドッグの豊富な運動量と激しい気迫に手を焼くことになる。先制点を挙げるが追いつかれ、再び1点差とするがまた追いつかれる展開に、ついに逆転を許し、結果は2-5で敗戦となってしまった。カスカベウは、エスポルチ藤沢時代から2年連続して選手権出場を逃してしまい、カスカベウの悲劇と言われたものである。甲斐が監督を兼務していたが、選手とのかけもちではどうしてもヒートアップしたときに間を置くなどの冷静な試合運びが出来ない。都予選に続いて悔いが残る結果であり、こののちもカスカベウは監督不在に悩まされることとなった。

 ウイニングドッグは、昨年の初挑戦の全日本選手権、甲斐らがいたエスポルチ藤沢を避けて、東京都で出場した。そしてガロとの対決に敗れ、本格的にフットサルに取り組み、今年は、カスカベウとの対決を避けて神奈川県から出場した。カスカベウは、エスポルチ藤沢から独立、カスカベウを立ち上げ、東京都から出場した。むろん、ファイルフォックスとの直接対決は臨むところであった。そんな2チームが皮肉にも、展開の綾とはいえ、関東大会の決勝で対戦したのである。しかも、ウイニングドッグ結成の頃に、お手本とした甲斐、市原、前田、相根らのフットサルチームに勝利してしまったのである。

 恐らく、彗星のごとく現れたウイニングドッグが一番輝いた時かも知れない。一方のカスカベウが悲願の全日本選手権優勝を果たすのは翌年まで待たなければならなかった。そして、皮肉にもカスカベウ優勝と同じ頃、ウイニングドッグが幕引きとなるのであった。
 次回は、全日本選手権初出場の話にしよう。写真は、むろん、関東大会決勝でカスカベウを破ったときの集合写真である。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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