ブログ2020.01.17

日本フットサル三国志 第3章 代表物語 その4 代表とメディア

木暮知彦

その4 代表とメディア


PIVO2

 残念ながら第1回のアジア選手権は4位に終わり、本来なら世界選手権出場も叶わなかったわけであるが、運よく先延ばしになった。しかし、当時の状況はというと、フットサル自体発展途上のスポーツであったせいもあるが、現在とは比べ物にならないくらいメディア特にインターネットの発達が遅れていたため、大きな話題にはならなかった。

 日本初のフットサル専門誌「フットサルマガジンピヴォ」が創刊されたのは、翌年、2000年の4月であったし、先駆けであったインターネットサイト、「FUTSAL NET」(運営主催者 山戸一純)が立ち上がったのは1997年1月でまだまだ知名度は低かった。それでも、「FUTSAL NET」は、協力者を介して試合の模様をレポートしてくれ、前回の試合情報はその記事によるものである。

 そもそも、日本代表の存在意義は、国を代表して世界で戦うわけであるから、国の競技レベルを示すものであり、当然、強くなければならない。強くなるためには、やはり底辺の競技人口の拡大が不可欠であり、そのためには試合の模様のみならず代表の動向はできるだけ広報されなければならない。つまり、メディアの力が必要なのである。このことは、最近のラグビーワールドカップが証明してくれている。

 そのメディアの力が、不足していたのが第1回アジア選手権と言える。したがって、第1回の戦いがどんなものでその評価を示す記事はほとんど見当たらない。しかし、わずかに仕切り直しとなった第2回アジア選手権の戦いのあとに前述の創刊なった「ピヴォ」に評価が掲載されていた。書いたのは、サッカーカメラマンで知名度が高い六川則夫である。以下、引用してみる。

 「昨年のアジア大会同様、グアテマラ世界選手権出場を賭けたアジア選手権も4位と、同じ結果に終わったフットサル日本代表、残念ながら期待された本大会の出場を逃してしまった。選手関係者にとって、フットサルの認知度、プレーヤー人口の少ないアジアでトップに入れなかったショックの度合いは測り知れない。敗因は一体どこにあるのか、様々な複合的な要因が挙げられる、心理的要因としては日本選手団の意識の奥底でアジアのレベルを低く見ていたように思う。
 アジア大会では良くも悪くもラモスの存在が大きかったが、チームを結成して少ない時間ながらそれなりの収穫と日本人固有の課題が浮き彫りにされた。準決勝でイランに敗れ、3位決定戦はカザフと引き分けPK戦の末敗れた日本だが、自分たちが目指しているフットサルが国際舞台で通用することと同時に、まだ足りないものがあることをアジアのチームとの闘いの中で掴んだはずである。後半になると顕著に見られるフィジカルの持続性のなさ、そこを起因とする集中力の欠如、判断力の低下、スピードの衰え、反応の遅さなどの課題が見えた。(以降省略)」

 この評価は、4年前のベトナムに準決勝で前半2-1とリードしながらも後半追いつかれ、PK戦で敗れ、続く5位決定戦のキリギス戦では集中力を欠き、2-6で敗戦したあの悪夢を言い当てているようである。

 恐らく、複数のメディアが良い評価も悪い評価も含め、多様な意見を出し、結果的に選手、チーム、関係者にそれがフィードバックされ、代表を強くする糧になるサイクルが重要なのであろう。果たして、今の日本代表を取り巻く環境はそうなっているのだろうか。

 ちなみに、今回のトルクメニスタンのアジア選手権、日本のB組には因縁のキリギスがいる。

 さて、写真であるが、遅ればせながら第2回アジア選手権から代表の記事が掲載されるようになったピヴォの第2号の表紙にしよう。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

みんサルブロガー

最新コラム

一覧へ