ブログ2020.01.24

日本フットサル三国志 第3章 代表物語 その5 日本代表の効果

木暮知彦

その5 日本代表の効果


アドレチコミネイロの衝撃

 その4で述べたように、メディアは未発達であったが、日本代表の効果は確実に表れた。

 まず、第1回アジア選手権を終えた2ヶ月後、静岡県沼津市で第15回全国選抜大会に第1回アジア選手権に出場した主要メンバーが日本選抜として特別参加したことである。この大会から、全国選抜大会の方式が変わり、各地域の優秀選手を集めて地域の代表チームを結成、地域代表同士が争う大会となっていた。大会方式を変更した理由は、フットサルには国体がなく、優秀選手を発掘する場にしょうと目論んだものと思われる。そして、その各地域代表に混じって日本選抜が参加したというわけである。

 決勝は日本選抜と関東選抜の戦いとなり、3-2で日本選抜が勝利したが、戦った関東選抜もしくは観戦していた選手はおおいに刺激を与えられた。その関東選抜には、ファイルフォックスから前田、エスポルチ藤沢から黒岩、甲斐、広山、安田、ウイニングドッグから小原(拓)小原(信)、木暮、府中水元クラブから鞁島、歳森、小金井ジュールから寺本、原、目黒FCから横山らが選ばれている。

 ちなみにこの選抜大会の目論見に合致した選手が木暮で、木暮はこの選抜大会に選ばれ、日本選抜と戦ったことが、サッカーからフットサルへ転向したきっかけ、日本代表を目指すきっかけになったとどこかのインタビューで答えていた。

 7月になると、当時としては実力最高の通年リーグ、「リガ天竜」が天竜市で始まった。なぜ、実力最高かと言うと、天竜市は浜松近辺に位置し、浜松の工場地帯に勤務するブラジル人もしくは日系ブラジル人のチームが参加するリーグだったからである。マチュアチームとはいえ、本場ブラジル仕込みのフットサルであったから強いはずである。そのリーグに日本人チームが参加するようになったからである。

 リーグは7月からスタート、翌年の1月までで1部と2部があり、1部は9チーム、日本人チームはファイルフォックス、カスカベウ)、関西からアスパ、府中水元クラブ、2部は10チーム、日本人チームはウイニングドッグが参戦している。

 参加の背景には、強くなりたい、日本代表で活躍したいという気持ちがあったと思う。参加したチーム名を見てもわかるとおり、日本代表を輩出しているチームばかりである。彼らは、車で3時間くらいかけて参加したのである。

 この「リガ天竜」は当時の日本人チームのレベルアップに大きく貢献した。理由は、日本人チームとブラジル日系人チームと混在であるから、当然、日本人チームは本場のブラジルフットサルを勉強できた。何よりも、外国人のレベルを肌で感ずることが出来た点は大きい。

 8月には、日本のフットサル界を打ちのめすほどの衝撃的な試合が、駒沢屋内球技場で行われた。それはブラジルのプロフットサルチーム、アトレチコミネイロとファイルフォックスとカスカベウ合同チームの試合であった。アトレチコミネイロは、当時のブラジルリーグの優勝チームでジーコフットサルクラブ(ジーコブランドのフットサルスクール運営団体)の設立イベントで来日したのだ。アトレチコミネイロは、ブラジルの国内リーグ優勝、トビアス、ファルカン、レニージオ、インジオ、エウレオ、レナとなどブラジル代表メンバーらを擁するチームで、今でも滅多にブラジル代表との試合はお目にかかれないことを考えると夢のようなチームである。そのチームと国内最強の2チーム合同チームいわば日本代表チームが戦うのであるから、駒沢屋内球技場には多くの観客が集まった。

  日本チームのメンバーは、ファイルフォックスから上村、渡辺、原田、ゴールキーパー定永、カスカベウからは甲斐、前田、相根らが出場した。結果は、1-14で大敗、今でこそ、日本とブラジル、スペインの代表戦でそのくらいの大差がつくことは情報として知っているが、当時は世界基準を知らなかったから、まさに驚愕であった。

 このように、フットサルの普及とあいまって、日本代表活動が具体的に始まったことで、今までは国内にとどまっていた視野が世界に向かった効果は大きい。

 ただし、ブラジルやヨーロッパに目が行きがちでフットサルをわかった気になってしまう心配があった。しかし、この時は、それが現実のものになるとは関係者は思ってもみなかったことであろう。結果は次のアジア選手権で痛い目に合う。

 さて、写真は、日本フットサルに衝撃を与えたアトレチコミネイロとファイルフォックス・カスカベウ合同チームの試合写真としよう。当時のブラジルのスーパースター、トビアスの股抜きスーパーゴールである。


木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

みんサルブロガー

最新コラム

一覧へ