ブログ2020.03.22

日本フットサル三国志 第3章 代表物語 その9 グアテマラ大会

木暮知彦

その9 グアテマラ大会

トビアス

  2000年の11月18日から12月3日まで、日本が出場を逃した世界選手権がグアテマラで行われた。ちなみに、これまでの世界選手権(ワールドカップ)の歴史を振り合えってみよう。 開催年、開催国、優勝から4位まで並べてみた。正式にワールドカップという名称になったのは2004年からである。

第1回 1989年 オランダ ブラジル オランダ アメリカ ベルギー
第2回 1992年 香港   ブラジル アメリカ スペイン イラン
第3回 1996年 スペイン ブラジル スペイン ロシア ウクライナ
第4回 2000年 ガテマラ スペイン ブラジル ポルトガル ロシア
第5回 2004年 台湾    スペイン イタリア ブラジル アルゼンチン
第6回 2008年 ブラジル  ブラジル スペイン イタリア ロシア
第7回 2012年 タイ   ブラジル スペイン  イタリア コロンビア
第8回 2016年 コロンビア アルゼンチン ロシア イラン ポルトガル
第9回 2020年 リトアニア   ?

 すでに述べたように、日本は、第1回大会は招待されて出場なったが、アジア予選を突破して出場できたのは、結局、グアテマラ大会の次の台湾大会であった。ワールドカップ出場という局面だけ見れば4年間の出遅れであるが、今にして思えば、まだまだ国内の競技フットサルの環境がワールドカップ出場にふさわしいものだったかというと、脆弱なものであった。4年遅れが丁度良かったのかも知れない。

 実際、ワールドカップ出場を逃してから、国内のリーグ戦の充実を始め、代表活動も急速に整備、充実されて行った。

 それは、これからの話に委ねるとして、グアテマラ大会の結果について少し紹介しておこう。表のとおり、優勝したのは、スペインで3大会連続優勝していたブラジルを破って初優勝を遂げた。

 アジア勢はというと、アジア予選3位のカザフスタンはグループAで全敗、2位のタイはグループBで全敗、優勝のイランはグループDで1勝といずれも予選敗退に終わっている。しかし、イランはキューバに1勝はともかく、強豪アルゼンチンに1-2の1点差負け、優勝したスペインに7点取られてとはいえ、2点を取ってアジアNO1の意地を見せた。

 もし、日本が出場していたらどうだったであろうか。恐らく、カザフスタン、タイと同じような成績で終わったであろう。ただ、イランの戦いぶりを見れば、イランを追いかけ、イランに勝つことによって世界に近づくことは間違いなく、まずはイランに勝つことがアジアの目標だという確信を得たのではないだろうか。しかし、その道のりは遠いことをこの先も思い知らされるのであった。

 3連覇していたブラジルの敗因は、油断と個人技に任せていたスタイルが個人技はブラジルから帰化した選手がカバーし、守備を徹底、組織的に戦ったスペインには通じなかったことにあるとされている。このことは、日本においても、これまでどちらかと言うとブラジル技術一辺倒だった風潮が、果たして日本に合っているのか、見直されるきっかけになった。

 得点王は、そうはいっても、ブラジルのマヌエル・トビアスで、19ゴールを挙げ、2位バンデル、3位シュマイケルといずれもブラジルンであった(あのファルカンはこの時、第9位)。いかに、得点能力はブラジルが傑出していたか、よくわかる。

 トビアスと言えば、その5で紹介したが、アトレチコミネイロの日本遠征で、約1年前の8月に来日している。ほかにも、ファルカン、レニージオ、インジオ、エウレオなど当時のアトレチコのメンバーが代表にいたから、本当に1年前のアトレチコミネイロは凄かったということであろう。ちなみに、カスカベウ、ファイルフォックス連合チームは1-14で敗戦、日本の代わりに出場したといってもいいカザフスタンのブラジル代表戦は予選Aグループで1-12で敗戦している。

 さて、写真は、トビアスが来日したときの記念写真にしよう。隣に写っているのは、木暮で、当時木暮は21歳、トビアスは彼にとってスーパースターであった。

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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