ブログ2020.01.07

日本フットサル三国志 第3章 代表物語 その2 アジアの取り組み

木暮知彦

その2 アジアの取り組み


アジア選手権歴代成績

 世界選手権のアジアの取り組みは、第1回大会の4年後、1992年に始まる。開催地自体が香港で行われ、曲がりなりにも東アジアと西アジアで予選大会が開かれ、中国とイランが本大会に出場した。日本はこの大会には日立製作所中心のチームで予選大会に参加したが、中国に敗れ、本大会出場はならなかった。

 1996年11月開催の第3回大会は、スペインで行われた。アジアからは東、南、西の3地区の予選が行われ、予選を勝ち抜いて本戦出場が決まる。

 日本はこのままでは強くなれないと考え、1年前の1995年にフットサルの普及、競技レベルの向上を図るべく、全日本フットサル選手権(以降、全日本選手権と称す)を開催することを決めた。そして、この場を日本代表の選考の場にしようと考えたのである。

 実際、1996年の1月、有明コロシアムで第1回全日本選手権が開催された。そして、もしかしたら日本代表に成れるかも知れない期待感からサッカークラブ、フットサル専門チーム問わず、多くのチームが参加した。

 考えてみれば、フットサルは学校スポーツ、企業スポーツなどの基盤がなく、自然発生的に発生したものであるため、組織的に代表を育成する場などは当時はなかった。ましてや通年の地域リーグやFリーグの存在もなかったから、選手権は選手育成に重要な役割を担うのであった。

 そして、上海で行われた第3回大会の東地区アジア予選には、第1回全日本選手権で活躍した上村信之介(府中水元クラブ)、藤井健太(ルネス学園)が選ばれ、出場している。残念ながら、この時の日本代表メンバーは調査し切れていない。監督はマリーニョ、前述のメンバー以外では佐川急便サッカー部の米倉秀樹、清水市役所サッカー部の鈴木慎一が選ばれている。

 結果は予選敗退で、アジアからは結局イラン、中国、マレーシアが本戦に出場している。しかしながら、いずれも予選リーグ敗退で決勝トーナメントには進めなかった。

 アジアフットサル連盟(AFC)は、アジアのこの成績を見て、欧米の選手と比べて体格的に劣るアジアの選手が世界と肩を並べるには、小さいころからフットサルに親しむことが重要と考え、アジア全体のフットサルの普及を図るべく、アジアフットサル選手権開催を決めた。

 そして、実際、2000年グアテマラ大会の出場国を決める第1回アジアフットサル選手権(以降、アジア選手権という)を1999年3月にマレーシアのクアラルンプールで開催した。以降、最近こそ2年に1回開催だったが、当初は毎年行われた。

 さて、写真であるが、第1回大会からの開催地、歴代優勝チームなどをWikiから閲覧しよう。優勝は日本とイランだけで、日本は3回優勝している。4年前の2016年、日本が3位にも入っていないのは、屈辱の5位以内にも入れず、ワールドカップ出場を逃したあの大会結果である。ちなみに、ベスト4に入れなかったのも、この年だけであった。
 ところで、ご存じの方も多いと思われるが、念のため記しておくと、2月26日から16回目のアジア選手権が始まる。開催地はトルクメニスタンで、すでに組み合わせ抽選会が12月6日に行われている。結果は以下のとおりである。

A組:トルクメニスタン、ベトナム、タジキスタン、オマーン
B組:日本、レバノン、キルギスタン、クウェート
C組:ウズベキスタン、バーレーン、中国、インドネシア
D組:イラン、タイ、韓国、サウジアラビア

 日本のB組は、傑出した国はないが、曲者ぞろいの国が揃っており、簡単に1位突破できるかどうか困難も予想される。ちなみに、11月にリトアニアで行われるワールドカップのアジア予選を兼ねており、5位以内ならば本戦に出場できる。


トルクメニスタン組み合わせ

木暮知彦

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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