ブログ2019.02.21

日本フットサル三国志 第1章フットサルの原点 その9 日本初の人工芝フットサルコート

木暮知彦

その9 日本初の人工芝フットサルコート


沼南町フットサルコート

 読者の皆さんは、日本初の人工芝屋外フットサルコートはいつどこに出来たかご存知ですか。知っている人はかなりのフットサル通と言えるでしょう。 それは、1994年に完成、今は柏市に併合されてしまったが当時は千葉県東葛飾郡の沼南町フットサルコートである。考えついた人物は広瀬一郎といい、電通の社員からワールドカップ招致委員会に出向、2002年の日本のワールドカップ招致に尽力したことで有名である。広瀬は早くからフットサルの可能性に目を付けていて、日本での「フットサル」の商標登録にトライするなど(結局、商標は取れなかった)、フットサルのビジネスにアイデアを巡らせていた。
 そんな折、広瀬の知人で人工芝メーカー、ソーコーの副社長が自らの工場裏に沼南町のスポ―ツ公園建設計画があり、人工芝を使った新しいスポーツを提案したいと相談があったという。そこで、広瀬はさっそくかねてより考えていたフットサルコートを提案、それが実現したというわけである。この辺の事情は、2005年1月発刊のFUTSALNET&ストライカーDX共同編集の「フットサルの達人」(学習研究社発行)の山戸一純のインタビュー記事に詳しく記述されている。山戸はオールドファンには懐かしく、一世を風靡したフットサルの情報サイト「FUTSALNET」の運営者である。

 そして、この建設を後押し、すぐさまコートを活用した人物がいた。現在、柏市サッカー協会フットサル委員会委員長の涌井康雄である。涌井は当時沼南町の消防署員であったが、フットサルに興味を持ち、ちょうどその年に開催された審判講習会(当時は日本ミニサッカー連盟主催)に参加してみると、たちまち、フットサルの魅力とおもしろさに引かれたという。そして、サッカーとは少し違ったルールなので審判員の育成が今後課題になると思い、自ら審判員の資格を取ることとなった。
 涌井は、さっそく、沼南町消防署チーム、柏警察チームそしてさきほどのソーコーの3チームでフットサル大会を開催、なんと翌年の1995年には沼南町フットサル連盟を立ち上げたのだ。聞くところによると、民間のフットサルコートが無い中、最初は都度ゲームのマッチメイクをするだけだったが申し込みが多くなりそれでは追いつかず、連盟化して組織的に活動するようになったとのことである。ピーク時は24チームの登録があったというから、当時としては小さな町なのに大きな連盟と話題になった。また、公営のフットサルコートという点も全国では珍しく、各県の行政・民間業者が視察に来るなど行政や企業も「フットサル」と言うスポーツの展開に注目が集まったと涌井は言う。

 涌井のような地域に根差した普及活動がなければいくら日本初の人工芝コートができたからといって、今日のフットサルの隆盛はなかったであろう。ちなみに、涌井はいずれ三国志に登場する伝説のスーパーリーグの審判を務めるなどフットサルの普及に貢献、今でもその活動は続いている。

 次に広瀬が作ったフットサル施設はオールドファンには懐かしい二子玉川のフットサルコートで、恐らく民間では初の人工芝コートであった。(1995年設立、もともとスポーツクラブ内に作られたもので、その後、1997年、温泉掘削に成功したので別の施設に転用されてしまった)
 広瀬は、ワールドカップ招致のかたわら、フットサルには並々ならぬ関心を寄せ、どうしてもルールに縛られがちな従来のサッカーなどのスポーツとは違う発展の可能性をフットサルに見ていたという。「このスポーツをマーケット的にどのように差別化するかというと、時間が短くて、コートが狭くて男女で一緒に出来る点。男女が一緒にやるクラスをスクランブルエッグという名前にしたりしました。まぜちゃおうということで先発5人の中で1人は45歳以上、あるいは13歳以下というのも提案しましたね。人工芝の緑の上に女性専用のカラフルなウエア。ではどこかのファッションメーカーと提携してやろうかとか。」
 今でいうところのミックス大会であり、アスレタのウエアに通ずるものである。1995年といえば第1回全日本フットサル選手権開催の1年前、広瀬、涌井らの手で着々とフットサルブームの下地が作られていたのであった。
 残念ながら広瀬は、2017年5月に61歳の若さで亡くなってしまった。実を言うと、前述山戸と筆者でオープンランキングという仕組みを作って人気を博したことがある。これは、勝手にチーム同士が試合を行ったら結果をお互いの承認はいるもののネットに登録、勝ち点のランキングをネット上で競うというものである。その仕組みについて、広瀬が電通を辞めて「スポ-ツ・ナビゲーション」というスポーツの総合サイトを立ち上げるとき、山戸とともに呼ばれて話をしたことがある。「スポーツ・ナビゲーション」で取り上げようとしたのかも知れない。また、私が代表を務めていたFIRE FOXのスポンサーにもなってくれた思い出深い人である。広瀬のアイデア、行動力がなかったら今日のフットサル施設はなかったのかも知れないと思うと、敬意を表するとともにご冥福を祈りたい。

 さて、次回はフットサルコートの話が出たところで、フットサルの原点でもある日本でフットサルコートはどのくらいあるのといったフットサルコートの話をしよう。お楽しみに。

 ところで今回の写真は、日本初の人工芝屋外フットサルコート沼南町の当時の写真であると言いたいところであるが、残念ながら見つからず、現在の写真を涌井から送ってもらった。さて、写真の左に写っている白い建物は実をいうと人工芝メーカーであったソーコーの後に建てられて別のメーカーの工場だそうである。ソーコーは2007年12月に民事再生手続きを申し立て、事実上倒産してしまった。創業当時の家庭用品事業部門の採算が悪化、ゴルフ場やフットサル場などのスポーツ関連事業で補ってきたが補いきれなかったとの記事があった。現在はアイリスオーヤマの傘下となり、アイリスソーコーとして人工芝ゴルフマット、用品の製造販売会社として存続している。むろん、もはや工場は千葉にはなかった。この写真を見て、フットサル施設誕生の裏にはいろいろな歴史があることを改めて思い知らされた次第である。

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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