ブログ2019.03.13

日本フットサル三国志 第2章 あのチームはどうなった(府中アスレ) その1 立川・府中初めての全日本

木暮知彦

その1 立川・府中初めての全日本


府中アスレ応援団最新

 2019年3月10日午後3時、駒沢屋内球技場に立川・府中アスレティックは第24回全日本フットサル選手権決勝に臨んでいた。相手は、今シーズンのFリーグ優勝チーム名古屋オーシャンズである。立川・府中アスレティックはFリーグではプレーオフに進出したもののシュライカー大阪に敗れ、3位に終わっている。名古屋オーシャンズとの今シーズンの対戦は1引き分け2敗だった。
 そんな劣勢ではあったが、応援は負けていなかった。東京という地元の利はあるもののサポーター席はもちろんのこと、まわりは立川・府中の応援でいっぱいであった。ちなみに、サポーターの方に立川と府中どちらから来られた方が多いですかと聞いてみたところ、ほとんど府中だが次第に立川の人も増えてきているとの返事であった。
 改めて振り返ってみると、ホームタウンに立川市を追加し、名称も立川・府中と改名したのは今シーズンからなのである。したがって、立川・府中の関係者にとっては、体制変更後のチーム成績をリーグ3位、全日本選手権決勝進出で終えたことはほっとしたことであろう。

 2017年4月20日、突然、府中アスレティックのホームページに本年9月以降のホームゲーム開催に関する会場変更のニュースが流れた。内容はFリーグ実行委員会にて、9月以降のホームゲーム開催予定の府中市立総合体育館の使用が非承認となったというのである。かねてより、20×40のピッチサイズが取れず、観客収容数も2千人に満たない同体育館はF1リーグ参入の基準を満たさず、いずれ改修もしくは新設の体育館に移動する前提で参入が許可されていたものだが、その目途が立たないことが判明、この措置になったとのことである。

 本件に関しては賛否両論の意見があると思うが、府中アスレティックの歴史を語るうえにおいて、この体育館問題はきってもきれない因縁がある。

 それは、2006年、今から13年前に遡る。2006年11月22日、JFAハウスにて、ついに全国リーグ(Fリーグ)参入チームおよび来年度のリーグ開催要領が発表された。リーグは2007年9月開幕で、8チームの3回戦総当たりで21節84試合を行うという。選考経緯を見てみると、応募は16チームだったが、書類審査に残ったチームは12チームで関東勢は、ペスカドーラ町田、バルドラール浦安、湘南ベルマーレ、府中アスレティック、北は、北海道フットサル全国リーグ参戦委員会、ステラミーゴ岩手花巻(前身はAMV花巻)、東海地域が田原FC、名古屋オーシャンズ、関西がシュライカー大阪、デウソン神戸、南がバサジイ大分(前身は大分エスペランサ)と琉球FCであった。しかしながら、基本要件に満たない2チーム、チームの実態がない北海道、体育館の規模に課題があった府中アスレティックが落選となり、さらに地域バランス、実力などから東海の田原FC、南の琉球FCの2チームが落選、8チームが残ったのだという。

 そして、その2年後、2008年10月25日に、かねてより募集・選考が行われていた来シーズンのFリーグ参入チームの発表が行われ、新たに府中アスレティックとエスポラーダ北海道の参入が決まった。応募は3チームだったという。もともと2年後には10チームに増やす計画があり、しかもそれは惜しくも落選した府中と北海道だろういう下馬評であったが、そのとおりとなった。しかし、府中については当時から体育館改修あるいは新設が条件であった。

 2009年から府中アスレティックはFリーグに参入できたわけであるが、常に体育館問題には悩まされ続けた。というのも、リーグのチーム数の増加、2部リーグの創設などの計画があるなかでいつまでもピッチサイズ、観客収容数などの基準に例外事項を設けるわけには行かないからである。実際、2012年にはステラミーゴ岩手花巻が撤退の代わりにアグレミーナ浜松が参入、2014年にはヴォスクオーレ仙台とフウガドールすみだの2チームが参入、12チームに増加の流れが起きている。
 そして、ついに2018年シーズンからF2リーグ創設が決まった。F2の参入機会を増やすため、F2基準はピッチサイズや観客収容数を緩和しているため、府中アスレティックはF2に甘んずるか、基準を満たす体育館に移るか選択を迫られる羽目になったのだ。この時点ですでに府中市立体育館は改修計画がなくなり、F1に留まるのならばお隣の調布市に出来る武蔵野森総合スポーツプラザか立川市の民間施設アリーナ立川立飛に移るかの決断を迫られることとなった。
 むろん、F1に留まる選択を選び、比較的コートの調達がしやすいアリーナ立川立飛をホームの体育館に選び、この日の全日本選手権に臨んだというわけである。ちなみにF1基準を満たさないF2参入チームもあったり、将来のF1参入を目指してホームを変えるチームもあったりで少なからずF2創設の影響は出ている。(経営難からデウソン神戸が自主降格、抜けた分、Fリーグ選抜というチーム創設といった影響が出ている)

 府中アスレティックスポーツクラブの前身はサッカーチームの府中水元クラブであり、1996年の第1回全日本フットサル選手権参加のために臨時のフットサルチームが名前を借りてスタートしたということを知っている人は少ない。その府中水元クラブが立川・府中アスレティックと名前を変えて24年後の24回大会に出場することなど誰が想像できただろうか。

 さて、最初の写真は、関東リーグ当時とはくらべものにならないサポーターの応援風景としよう。一方、関東リーグ時代の数人のサポーター応援姿を掲載するので、比較して欲しい。


府中アスレ昔

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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